ドアの外から声をかけられ「どうぞ」と言っていないにもかかわらず、ベルティアの返答を待たずにドアが開く。その隙間から現れたのはセナ・フェルローネで、ゲームでは存在しなかった予想外の訪問客にベルティアは言葉を失った。
そもそもベルティアが倒れたことがイレギュラーだったのでシナリオやキャラクターの動きが変わっていることは何ら不思議ではないけれど、まさかこの短時間の間にセナともう一度会うことになるとは思っていなかったのだ。 そして何より、ベルティアはセナの頭上に浮かび上がる数値に驚いた。「(なんでセナにも好感度の表示が……っ!?)」
『聖なる瞳の幸福』でも『ベルティア・レイクの幸福』でも二人はいわゆるライバル関係で、お互いに攻略対象者ではない。それなのに本編の主人公であるセナにもベルティアに対する好感度が表示されており、よく分からない状況に思わず後ずさった。
《セナ・フェルローネ 好感度:96%》
医務室で目覚めた時に見たノアの好感度よりも高い数値に、二度見ならぬ三度見してしまう。ベルティアが倒れる前に出会ったセナに好感度の表示はなかったはずで、前世の記憶が蘇り『ベルティア・レイクの幸福』がスタートしてしまってから何もかも変わってしまった。
でも、本編の主人公までがベルティアへの好感度が90%を超えているなんて、そんな話は聞いていない。 クリア条件である『好感度0%』の対象者の中にセナも入っているということだろうか?もしそうだとしたら5人もの対象者の好感度を下げないといけなくなる。「(……でもどうせ、セナには嫌がらせをしないといけないから自然と下がる…かな)」
予想外の展開が続いて頭が混乱するのを通り越し、爆発しそうな思いだった。
冷静に考えてみると、セナとは出会ったばかり。もしかしたら最初から100%の数値が、ベルティアが挨拶を無視したので96%になったのかもしれない。 つまり、このまま嫌がらせを続けていれば急激に色んなことが変わり、気絶するように眠りについた翌日。 朝っぱらから《好感度:91%》の数値を持つ男を見て、ベルティアはまた頭痛がぶり返してくるのを感じた。「おはよう、ベル。昨日より顔色はいいみたいだな」「……おはようございます、殿下。あの、俺、昨日はちゃんと王宮の馬車で寮まで帰ってきましたが」「ああ、報せはちゃんと受けた」「俺が馬車で帰ったら、殿下は送り迎えをしないというお約束だったはずです」「そうだったな」「そうだったな、って……約束が違うじゃないですか」 ベルティアは大体、他の生徒が登校するより前に学園に向かうのが日課だ。 寮住まいの生徒とも顔を合わせたくないし、学園に向かっている最中にヒソヒソと陰口を言われるのは朝から疲れてしまうから。朝早くに寮を出て学園の図書室に行き、授業が始まるまで本を読んで過ごす。 これが、今のベルティアにとって小さな幸せなのだ。それなのに、何が嬉しくて朝からノアの顔を見なければならないのか―― ちらり、ノアの後ろに控えているレオナルドを見るとゲンナリした顔をしていたので、きっとノアが無理を言ってここに来たのだろう。心中お察しします、なんて他人事のようにレオナルドを心の中で慰めると、ベルティアの心の声が聞こえたのか冷たい瞳と目が合ってベルティアは俯いた。「昨日、男が二人、お前の部屋に行ったそうだな」「え?」「入れ替わり立ち替わり、たいそう人気者だな? ベルティア」 ――あんたが怒る権利ないだろ! と叫びそうになったが、なんとか言葉を飲み込んだ。ノアは基本的には心優しくて誠実な青年だが、好感度が高いからか狂気度が増している気がする。 普段は夜道を照らす月のように優しい色をした金色の瞳が、今はゾッとするほど冷たい色に感じるのはそのせいだろう。 ベルティア自身もアルファだけれど、彼の圧倒的なアルファの雄としてのオーラには敵わない。
ドアの外から声をかけられ「どうぞ」と言っていないにもかかわらず、ベルティアの返答を待たずにドアが開く。その隙間から現れたのはセナ・フェルローネで、ゲームでは存在しなかった予想外の訪問客にベルティアは言葉を失った。 そもそもベルティアが倒れたことがイレギュラーだったのでシナリオやキャラクターの動きが変わっていることは何ら不思議ではないけれど、まさかこの短時間の間にセナともう一度会うことになるとは思っていなかったのだ。 そして何より、ベルティアはセナの頭上に浮かび上がる数値に驚いた。「(なんでセナにも好感度の表示が……っ!?)」 『聖なる瞳の幸福』でも『ベルティア・レイクの幸福』でも二人はいわゆるライバル関係で、お互いに攻略対象者ではない。それなのに本編の主人公であるセナにもベルティアに対する好感度が表示されており、よく分からない状況に思わず後ずさった。 《セナ・フェルローネ 好感度:96%》 医務室で目覚めた時に見たノアの好感度よりも高い数値に、二度見ならぬ三度見してしまう。ベルティアが倒れる前に出会ったセナに好感度の表示はなかったはずで、前世の記憶が蘇り『ベルティア・レイクの幸福』がスタートしてしまってから何もかも変わってしまった。 でも、本編の主人公までがベルティアへの好感度が90%を超えているなんて、そんな話は聞いていない。 クリア条件である『好感度0%』の対象者の中にセナも入っているということだろうか?もしそうだとしたら5人もの対象者の好感度を下げないといけなくなる。「(……でもどうせ、セナには嫌がらせをしないといけないから自然と下がる…かな)」 予想外の展開が続いて頭が混乱するのを通り越し、爆発しそうな思いだった。 冷静に考えてみると、セナとは出会ったばかり。もしかしたら最初から100%の数値が、ベルティアが挨拶を無視したので96%になったのかもしれない。 つまり、このまま嫌がらせを続けていれば
ノックされたドアに向かって「どうぞ」と声をかけると、攻略対象者の一人であるジェイド・ベドガーがひょこっと顔を覗かせた。「大丈夫か、ベルティア。倒れてたって聞いたけど」「うん、なんとか。心配かけたね」「顔を見たら安心した」 ノアもそうだが、ジェイドの頭上にも好感度の数値が見えるようになっている。今まで見えていたわけではないし普通に生きてきたけれど、やはり『ベルティア・レイクの幸福』の物語が強制的にスタートしてしまったらしい。 《ジェイド・ベドガー 好感度:70%》 ノアに続きジェイドの好感度も意外と高い数値が出ていて、思わず笑ってしまった。ジェイドが怪訝な顔をしたので「なんでもないよ」と言うと、彼はあまり納得していなさそうな様子で勉強机の椅子に腰掛けた。「王宮の馬車で送ってもらったって?」「ああ、うん。ノア殿下がどうしてもと言って……そうだ、なぜ殿下が医務室にいたのか知ってる? 見つけてくれたのは殿下ではない生徒だったみたいだけど」「それは俺も人づてに聞いただけで確証はない話だけど…倒れてるお前を発見した生徒が、お前に…その、手を出そうとしていたらしくて」「……は?」「性的にっていう意味じゃなく、お前のことを快く思ってない連中がさ。ベルティアをどこかに閉じ込めるとか、そういう話をしていたんだって。それで、たまたま通りかかった殿下が医務室に運んだって聞いたよ。様子を見に行こうと思ったけど、医務室のある棟は殿下が人払いを命じて誰も出入りできなかったんだ」「なるほど……それは、殿下に感謝しないとだな…」 結果的によかったと思ってはいるけれど、医務室でノアに冷たい態度を取ったのは人としてよくないことだったと反省した。ジェイドから話を聞かなければ事実を知らないままだっただろう。 もともと学園の中でベルティアの評判はよろしくない。ベルティアは男爵令息ながら優秀で、16歳の時に王立学園へ特待生として入学した。ただ、子供
ノアが退室した後の医務室はがらんとしていて、何だか冷たい風が通っていくのを肌で感じる。医務室の先生はちょうど不在だったのか、室内にはベルティアだけが取り残された。「国外に追放されたあとは、どうなるんだろう……」悪役令息・ベルティアのその後は本編では描かれていなかった。『ベルティア・レイクの幸福』ではクリア条件を達成できなかったのでトゥルーエンドは知らないままだ。全員の好感度を0%にすると卒業パーティーを待たずにクリアと記載があったが、それができないと自動的に卒業パーティーの断罪ルートに進むらしい。ただ、現実的に考えて全員の好感度を0%にするのは不可能にも近いので、大体が断罪ルートになるだろうけれど、こちらも達成していないのでベルティアがその後どうなるのかは未知である。「国外追放されて、平民になって、慎ましく暮らす……まぁ、今とあんまり変わらないかも」国外追放されたらベルティアのことを知る者はいないので、今の状況のように後ろ指をさされることはなくなるだろう。そう考えると確かに『ベルティア・レイクの幸福』なのかもしれない。「失礼いたします。馬車が参りましたので、寮までお送りいたします」ノアに言われたので仕方なく馬車が到着するのを待っていると、しばらくして医務室のドアが開いた。ドアの向こうから現れたのはノアの側近であるレオナルド・ヴィステリアで、ベッドの上で膝を抱えているベルティアを冷たい目で見つめている。そんなレオナルドの視線にも慣れっこだ。この学園、いや、この国でベルティアのことを特別視しているのはノアくらいなのだから。「お手を煩わせてすみません」「いえ、殿下のご命令ですから」すんっと澄ました顔でベルティアを馬車まで案内するレオナルドの背中からは『本当にいい迷惑だ』と聞こえてくるようで、ベルティアは苦笑した。彼は表情がないように見えて意外と分かりやすい。「それでは、失礼します。殿下によろしくお伝えください」「……できることならば、ノア殿下を誑かさないでいただきたく思います」「え?」馬車に乗り込む前にもう一度謝罪をしようとしたベルティアに、レオナルドは眉間に皺を寄せて冷たい言葉を浴びせた。もしも彼が攻略対象者の一人であれば、頭上に表示される好感度はマイナス50%くらいだろう。それほど、レオナルドからは嫌われているのを自覚している。「聖
「お兄ちゃん、お願い! 何も聞かずに私のことを手伝って!」 泣きついてきた妹のお願いを断るわけにもいかず、何の気なしに引き受けたのが人生を左右した出来事だといっても過言ではないだろう。 妹のお願いにまんまと乗せられ、腐女子である彼女がハマっていた『聖なる瞳の幸福』というBLゲームに同じく沼落ちした迂闊さも、人生を左右した出来事だった。「なんでこうなるんだよ!」 イライラしたような、はたまた人生に絶望したような、そんな声をした青年がゲーム機に向かって話しかけていた。 その瞬間、ベルティアの脳内に青年がプレイしている『ゲーム』の記憶が大量に流れ込んでくる。そのゲームの舞台は『聖なる瞳の幸福』の世界。つまり、ベルティアがいま生きているグラネージュ王国の風景が頭の中に流れ込んできたのだ。 腐女子から圧倒的人気を誇る『聖なる瞳の幸福』は中世を思わせる、煌びやかでゴシックなファンタジーBLゲーム。魔法や妖精、王族などスタンダードな要素もありつつ、BLゲームとしての最大の要素は『オメガバース』という特殊設定だろう。 王族や貴族に多い、カースト上位の『アルファ』という、いわゆるチート属性。平民に多い『ベータ』という中間層。そして厄介なのが『オメガ』という最下層。 このオメガには女性も男性も関係なく発情期というものがあり、フェロモンを出して周りのアルファを誘う性質がある。定期的な発情期のせいで周りの異性や同性も関係なくフェロモンで誘ってしまうオメガは疎まれやすく、社会から冷遇されている。 そんな中『聖なる瞳の幸福』の主人公はオメガの平民でありながら特殊能力が開花し、伯爵家の養子になって王立学園に入学するところから物語はスタート。攻略対象者は第一王子、第二王子、魔術師、幼馴染の少女など。 そしてベルティアはすぐに自分の立場を思い出し、転生したという事実も理解した。ベルティア・レイク、男爵家の嫡男でありアルファの18歳。そして『聖なる瞳の幸福』の悪役令息。主人公に散々嫌がらせをした挙句、卒業パーティーで断罪されて国外追放を言い渡される。主人公は攻略対象者と無事ハッピーエンド。 今日、聖なる瞳であるセナ・フェルローネが編入してきたということは、タイムリミットはあと半年。「……は、ぁ…」 卒業パーティーの断罪や国外追放については、それでいい。 ただ問題なのは
彼の、美しい金色の瞳を見たときに体中に衝撃が走った。 別にあちらは睨んでいたとか警戒心たっぷりの鋭い瞳だったとか、そういうことではない。ただ、全てを見透かされているような、過去のことも未来のことも全てを知られているような『恐怖』にも似た感情を抱いた。 一度目が合っただけでそんなことを思うくらい彼の瞳は美しく、それと同時に嫌悪した。「――セナ・フェルローネです、よろしくお願いします」 セナ・フェルローネ。 耳馴染みがいいアルトボイスが丁寧な自己紹介をしてくれたのだが、ベルティア・レイクは目の前の出来事になぜか混乱して、何も反応できずにただただ息を飲み込む。 そっと差し出された手が幾重にも重なって見えるのはきっと幻覚で、あまりの衝撃にベルティアの目が現実を拒否しているためだ。思考や本能が彼を拒否しているような感覚があって、セナの手を握り返せない。 周りにいる生徒たちがザワザワと騒ぎ出し、いつものように「男爵家のくせに、差し出された手を拒否されてるわよ」「まぁ。王太子殿下の"お気に入り"はやはり格が違いますわね」といった陰口が聞こえてきて耳を塞ぎたくなった。「………すみません、失礼します」「あ、ちょっと!」 セナの手だけではなく人や物、建物までもが重なって見える。ずきんずきんと痛む頭を押さえながら、ふらつく足取りで建物の影に隠れるとベルティアは膝から崩れ落ちた。「は、はぁ……ッ」 割れそうなほど痛む頭を両手で抱えながらその場にうずくまると、頭の中には走馬灯のように映像が流れ込んでくる。ただ、その走馬灯の内容は自分が知らないものばかりで、他人の記憶を覗き込んでいるようだった。「何なんだ……っ!」 見知らぬ『誰か』の記憶。 大量の記憶が入り込んできて、容量を超えた頭の中はパニック状態。ぷつんっと何かが切れてベルティアの頭の中は真っ白になり、地面に倒れ込んだ。『心の準備ができたらSTARTを押してね!』「すたー…と……?」 意識が途切れる間際に聞こえた女性の声に導かれるように、冷たい地面の上でぴくりと指が動いた。